※これは2017年に筆者が記した論文をブログフォーマットに再編したものです。
※English abstract below.
はじめに
お笑い芸人をテレビで観ない日はない。バラエティを中心とした様々な番組の中で、彼らはMCとして番組の司会進行を務めたり、ひな壇から番組を盛り上げたりしている。またルミネtheよしもとや角座などの劇場を覗くと、若手からベテランまで幅広い芸人がネタを披露したり企画に挑戦している姿を見ることができる。全国各地のイベントや新商品発表会、学園祭でも芸人は引っ張りだこである。
しかし、よく見るとそうした様々な場面で活躍しているのは、誰もがよく知る中堅・ベテラン芸人であることが多い。新人で無名の若手がリポーターをやったとして、興味をもって観てくれる視聴者は少ないからであろう。
芸人が知名度を得るためには、やはりネタを観てもらうのが王道だ。M-1グランプリやキングオブコント、R-1グランプリなどのお笑いの大会が毎年白熱するのも、優勝して無名から一気にスターダムにのし上がろうと意気込む多くの芸人がしのぎを削るからだ。例えばM-1グランプリ2015には、総勢3437組がエントリーしている。この中から勝ち上がり頂点に上り詰めるのは至難の業であるが、彼らにとって自分たちのネタが評価され求められることは何よりの名誉であり、芸人として生きる上で強力な武器となるのである。
そんな芸人の生命線ともいえるネタを披露できる場が、現在圧倒的に少ない。より正確に言うと、お笑いのファンの人数が横ばいの一方で新たに芸人を志す若者が毎年大量に芸人養成所の門をたたくので、供給が需要を上回るという事態が発生しているのである。例えばお笑いの最大手、吉本興業が運営する養成所、NSC(ニュー・スター・クリエイション)には、毎年東西合わせて1,200人もの生徒が入学してくる¹。新たな芸人がこの勢いで誕生し続けるのとは対照的に、引退する芸人の数はわずかだ。お笑いは年齢を重ねても続けることが可能なため、定年退職といった概念が存在しないからである。
大御所芸人がいまだにゴールデン番組の顔となり、中堅がひな壇に居座るとなると、いったいどこに若手が入り込む隙があるというのだろうか。番組に出られるようになるまで劇場でネタを磨こうと思っても、芸人がネタを披露できる劇場が限られている。よしもとに所属する知人の芸人は月に2、3回しかライブに出させてもらえないと嘆いていたし、よしもと以外の小さな事務所はライブを行う劇場をそもそも持っていない場合がほとんどだ。ネタをお客さんに観てもらえなければ、ファンを作るのは至難の業だ。お笑い芸人が自らのお笑いを表現する場が足りていないのは、今後のお笑い界の発展にとって解決しなければいけない課題に思われる。ではどのようにしてこの問題を解決していけばいいのだろうか。
ここで目を向けるべきなのは、昨今のグローバリゼーションである。世界のグローバル化やインターネットの普及により、人やもの、情報の行き来が盛んになった。グローバル企業が台頭し、世界を相手に商売することが当たり前の世の中となったのである。日本からも自動車や鉄鋼などを中心に多くのものを輸出している。少子高齢化が進み国内市場の縮小を免れない日本にとって、海外に出て商売をすることは企業存続のために避けては通れない道なのである。
こうした理由で多くの日本企業がグローバル展開を図っているが、実は製品やサービスの他に、日本の文化も世界で高い評価を得ている。例えばアニメや武道などは、世界中に熱心なファンが多いことで知られている。またアートディレクターの増田セバスチャン氏によって日本の“kawaii”文化が世界に発信され、世界中の女性の心をつかんでいる。さらに日本の伝統芸能も、世界各地で公演を重ねている。400年の歴史を誇る日本固有の伝統文化である歌舞伎は、2015年に『鯉つかみ』、そして2016年には『獅子王』を、エンターテインメントの聖地ラスベガスで上演した。
ここで一つの可能性が思い浮かぶ。日本のお笑いも、他の様々な日本文化同様に世界に羽ばたくことはできないだろうか。お笑いがアニメと同じくらい世界中に浸透したならば、日本で日の目を浴びれていない多くの若手芸人に活躍の機会が舞い込んでくることだろう。同時にこれは、「お笑い」という日本の素晴らしい文化を後世に残していく上でも必須の試みである。そこでこの論文では、日本のお笑いを世界に広めることができるのかどうか、そしてその際の海外進出戦略にまで踏み込んで考察をしていく。
笑いの重要性
笑いは人間の生活に欠かせない要素である。程度に差はあれども、人は誰しもが日々の生活の中で声をあげて笑う。なぜ人間は笑うのだろうか。笑うことが人間の生存に絶対不可欠かと聞かれると、決してそんなことはないだろう。人間の三大欲求の中にも笑いは含まれていない。それでも笑いは生活の隅々に浸透しており、笑いがない人間社会には違和感すらある。では人間はどのような時に笑うのだろうか。
コミュニケーションにおける笑い
志水ほか(1994)は、人間の笑いはおおまかに二つに分けることができるとし、次のように説明している。
一つは、あいさつのときのほほえみに代表されるコミュニケーションの手段としての「社交上の笑い」であり、いわば意志の笑いである。今一つは、仕事の成功を仲間とともに喜ぶときのような「快の笑い」であり、感情が主役の笑いである²。
『人はなぜ笑うのか 笑いの精神生理学』
「快の笑い」が自然に起こるものであることに対して、「社交上の笑い」は相手とのコミュニケーションを図る手段として意図的に用いられる。コミュニケーションの専門家、鶴野充茂(2013)は「笑顔は万国共通、コミュニケーションの特効薬だ」³と述べている。笑顔を見せることで相手の警戒心を解き、親しみや信頼を得ることができるのだ。またできるビジネスマンはユーモアのセンスを発揮することで、自分だけではなく相手の笑顔も引き出す。電通の山本良二(2015)は記事の中でこう述べている。
2時間の映画を見たら泣けるし感動もできますが、たった15秒では難しいです。一方、たった15秒でも、人を笑わせることは可能です。笑いは、一瞬で、人の心の中に入っていきます。しかも、人は笑わせてくれた人のことをキライになりません⁴。
コミュニケーションの世界では、笑いが武器になる。
このように笑いは、人と人をつなげるコミュニケーションにおいて優れた効果を発揮する。共に助け合い社会を形成してきた人間にとって、笑いはまさになくてはならないものなのである。そういう意味では、誰かと笑いあう、笑いを共有するという行為は、人間の本能レベルで求められているものだと考えることができるだろう。
笑いの健康効果
笑いには多くの健康効果があることが、先行研究で証明されている。第一に、笑うとナチュラルキラー(NK)細胞が活性化する。NK細胞とは、がん細胞や体内に侵入するウイルスなど、体に悪影響を及ぼす物質を退治してくれる細胞のことである。あまり知られていないが、若くて健康な人の体にも一日に3000~5000個ものがん細胞が発生している。人間の体内にはNK細胞が50億個もあり、その働きが活発だとがんや感染症にかかりにくくなると言われている。笑いと免疫力の関係に詳しい伊丹仁朗(2009)は、NK細胞活性化の仕組みをこう説明している。
私たちが笑うと、免疫のコントロール機能をつかさどっている間脳に興奮が伝わり、情報伝達物質の神経ペプチドが活発に生産されます。
“笑い”が発端となって作られた”善玉”の神経ペプチドは、血液やリンパ液を通じて体中に流れ出し、NK細胞の表面に付着し、NK細胞を活性化します。その結果、がん細胞やウイルスなどの病気のもとを次々と攻撃するので、免疫力が高まるというわけです⁵。
“笑い”がもたらす 健康効果
また笑いには、免疫システム全体のバランスを整える効果も備わっている。筑波大学の村上和雄と吉本興業が組んで行った実験で、19人の糖尿病患者に500キロカロリーの寿司を食べてもらい、その後大阪の有名な漫才師B&Bの公演を聴いて大爆笑してもらった後、血糖値を測ってみた。漫才を観る前は平均上昇率が123mg/dlだったものが、漫才を観た後では77mg/dlまで大幅に下がっていた。別の「なんばグランド花月」で行われた実験でも、3時間大いに笑った後血液成分を調べたところ、NK細胞の働きが活発化していた⁶。大いに笑えばがんやウイルスに対する免疫力が高まるだけでなく、免疫異常の改善という効果も期待できるのである。
第二に、笑うと脳の働きが活性化する。笑うことで脳の海馬の容量が増え、記憶力がアップするのだ。またアルファ波が増えて脳がリラックスするほか、意志や理性をつかさどる大脳新皮質に流れる血液量が増加するため、脳の働きが活発になる。
第三に、笑いは血行を促進する。大笑いしている時の呼吸は深呼吸や腹式呼吸と同じような状態にあるため、体内に酸素がたくさん取り込まれ、血の巡りがよくなり新陳代謝も活発になるのである。
第四に、笑いは自律神経のバランスを整える。自律神経には、体を緊張モードにする交感神経とリラックスモードにする副交感神経があり、両者のバランスが崩れると体調不良の原因となる。通常起きている間は交感神経が優位になっているが、笑うと副交感神経が優位になる。交感神経とのスイッチが頻繁に切り替わることになるので、笑うことで自律神経のバランスが整うというわけだ。
第五に、笑うことで筋力がアップする。笑っているときは心拍数や血圧が上がり、呼吸が活発となって酸素の消費量も増え、いわば内臓の体操状態になる。静かに過ごすより笑っているほうが、カロリーの消費量が多くなるということだ。さらに大笑いするとお腹や頬が痛くなるように、腹筋、横隔膜、肋間筋、顔の表情筋などをよく動かすので、多少ながら筋力を鍛えることにもつながる。
第六に、笑いは幸福感と鎮痛作用をもたらす。笑うと脳内ホルモンであるエンドルフィンが分泌される。この物質は幸福感をもたらすほか、“ランナーズハイ”の要因ともいわれ、モルヒネの数倍の鎮静作用で痛みを軽減してくれる。
以上のように、笑うことで人の体や脳には様々な恩恵がもたらされる。笑いは乱れた体の機能を正常に戻してくれ、基準値以上の働きをすることがないため副作用がない。これまで薬に頼る生活をおくってきた人は、笑いに頼る生活へとシフトしてもいいだろう。
笑いの法則
ここまで笑いの重要性、笑うことの効果について論じた。では人間はどのような時に、何を見て笑うのだろうか。笑いには何かしらの共通点、法則があるのではないか。ここからは、そんな笑いのからくりを解き明かし、お笑いの世界進出のヒントを探っていく。
緊張と緩和
芸人ならほとんどが知っているであろう基本的な笑いの法則が、緊張と緩和理論である。落語家の桂枝雀が提唱したもので、観客を一時的に緊張させた後、一気に緩和させることで笑いが生まれるというものだ。ここのふり幅が大きければ大きいほど笑いも大きくなる。
緊張が緩和された時笑いが起こるというシンプルなこの法則は、他の多くの芸人の口からも語られている。ダウンタウンの松本人志はラジオの中で緊張と緩和を話題に挙げている。また千原ジュニアはこの理論を「たとえば、小さい子供がコケても笑いにならへん。じゃあ、誰がコケたら笑いになるか、一番エライ大統領がコケるのが、緊張が緩和するってことじゃないですか。」と説明している⁷。緊張と緩和によって人間が笑うときのメカニズムを、志水ほか(1994)は次のように説明している。
『少しの驚き・発見の笑い』は、あたえられた外来あるいは内因性の刺激にまず驚き、思わず息を吸ってとめる。少し大げさにいえば、息をのむ。これは緊張したときに共通の行動である。つまり、ともかく酸素を吸いこみ、次の緊急事態にそなえるのである。つぎにその刺激が無害または愉快であることに気づいて安心し、ほっという言葉のとおり少し息をはく。これが第一回目の「アッ」または「ハッ」という呼気をもたらす。そしてこの一連の心と身体の反応ないし動作自体が愉快でもあるのでくり返す結果、短い呼気の断続となる⁸。
『人はなぜ笑うのか 笑いの精神生理学』
また志水ほかは哲学者のベルグソンやカントも緊張と緩和について述べていると紹介している⁹。日本だけでなく世界においても、昔からこの理論が存在していたという良い証拠になるだろう。
マーケティングと心理学の教授ピーター・マグロウとその教え子カレブが様々な実験調査の末にたどり着いた笑いの原理が、「無害な逸脱」理論である。これはある出来事が正しくない、不安な、または危険な状態(逸脱)でありながら、同時に問題ない、受け入れられる、安全(無害)と判断される場合にのみ笑いは発生するという理論だ10。この逸脱は緊張に、そして無害は緩和に置き換えることができる。緊張が緩和され、安心できると判断して初めて人間は笑うことができると言えよう。
推理の裏切り
人間は自分の推理が外れたときに笑う。コンピューター科学・認知科学者のマシュー・ハーレ氏らによると、人間は日ごろから少ない情報を頼りに多くの推理を立てていくことで、合理的に日常を受け入れている。この推理の誤りに気づいたとき、脳はその褒美として笑いを得ているのだそうだ。また脳科学者の澤口俊之はお笑いを科学する『人はなぜ笑うのか』の中で「自分の間違いを笑うというのが現在の学説。…自分の思い込みが外れたことを笑うわけです。」11と述べている。
つまり笑いを生み出すためには、まずお客さんを間違った推理へと誘導しなければならない。誰もがこの後こうなるだろうと予測ができるようなやりとりの後に、誰もが予想できなかった展開へと持っていくことで笑いが生まれるのである。そのためには人間心理や常識を知っておく必要がある。NSCの講師を務める漫才作家、本多正識は著書の中で次のように述べている。
人を笑わせる代表的な手法に「常識を覆す」というものがあります。わかりやすい例では、「こんにちは」と言った拍子に、首を横に倒すだけで笑いが取れます。これは、見ている側に「こんにちは=会釈をする=頭を前に下げる」という常識があるため、「その挨拶はおかしい」となって笑いが生まれるのです。この例は「常識を知る=笑いを取れる」ということを示しています12。
『吉本芸人に学ぶ生き残る力』
常識を知っているからこそ、そこから逸脱した非常識な言動で笑いをとることができる。爆笑問題の太田光を見ているとそのことがよくわかる。太田は自由奔放なボケで相方や周囲を振り回すことが多いが、一方で芸能界屈指の読書家として知られ、自身も小説を執筆しているほどの知識人である。
ザ・ドリフターズのメンバーかつ日本を代表するお笑い芸人である志村けんも、常識を知ることの大切さについて自身のオフィジャルブログで語っている。「お笑いみたいなものでも、常識を知らないと本当のツボというものがわからない。常識は基本線で、お笑いはその常識という基本線をひっくり返すところで、コントとして成り立っている。だから、笑えるワケよ。」13
人を笑わせるためには、ただ奇抜なことをすればいいわけではない。誰よりも常識を学び知識を深め、世間一般の感覚を養わなければいけないのである。京都大学卒のロザン宇治原を筆頭とした高学歴芸人がテレビ等で活躍しているのも、この法則を裏付けているといえよう。
日本のお笑い変遷
ここからは日本のお笑いの歴史と現状をみていく。日本のお笑いはどこから来てどこへ向かうのだろうか。
日本のお笑いの歴史
日本では古来娯楽的要素の強い芸能である能や狂言、歌舞伎などが発展してきた。また江戸時代初期に始まった「滑稽噺」は明治に入り「落語」と呼ばれるようになり、シンプルかつ身近な芸能として庶民に親しまれてきた。
現代の文脈における「お笑い」、いわゆる漫才やコント、ピン芸などの歴史は吉本が築き上げてきたと言っても過言ではない。1912年、吉本吉兵衛・せい夫婦が天満天神近くの寄席「第二文芸館」で寄席経営を始めたのが、吉本興業の長い歴史の始まりである。
1921年には落語家桂春団治が、吉本専属として初席の高座に上がる。1925年には各放送局が放送を開始し、ラジオが普及する。翌1926年に吉本の専属としてコンビを組んだ花菱アチャコ・千歳家今男が漫才(当時の表記では「万才」)で人気を集め始める。1930年に桂春団治が吉本に無断でラジオ出演したことをきっかけに、その名が全国に広まっていく。また同時期に千日前の「南陽館」を万才の専門館とし、格安の“十銭万才”を始めたことで万才人気が高まっていく。翌1931年には横山エンタツ・花菱アチャコらの慰問団を満州に初派遣する。1939年、千日前に後のなんばグランド花月である「大阪花月劇場」を開場する。
1954年にNHKラジオが花菱アチャコ出演の『お父さんはお人好し』の放送を開始し、1965年まで続く超ロングラン番組となる。1959年、毎日放送初のテレビ中継が行われ、吉本ヴァラエティ『アチャコの迷月赤城山』を生放送。この吉本ヴァラエティが後の吉本新喜劇となる。1980年にフジテレビが漫才のスペシャル番組『THE MANZAI』を放送。空前の漫才ブームにより多くのスタータレントが誕生する。1982年にタレント養成のため「吉本総合芸能学院(NSC)」を開校。以後多くの人気芸人がここから輩出されるようになる。
2001年に朝日放送による漫才の大会『M-1グランプリ』が開始。以後コントNo.1を決める『キングオブコント』、ピン芸No.1を決める『R-1ぐらんぷり』が続々と登場する。2009年には「Laugh & Peace」をテーマに『第1回沖縄国際映画祭』を開催。翌2010年にYoshimoto Entertainment U.S.A.,Inc.を皮切りにして、吉本の海外支社をアメリカ、台湾、韓国、タイに設立する。2014年には株式会社よしもとロボット研究所を設立。最新技術を取り入れ、人を笑わせるロボットの開発に取り組んでいる。
以上が100年以上に及ぶ吉本興業とお笑いの歴史である。その時代その時代の最新のメディアの力を借りながら、徐々にお笑いの市民権を獲得していったことが読み取れる。
日本のお笑いの現状
現在お笑いに分類されるものとしては、漫才、コント、ピン芸、新喜劇などが挙げられる。
中でも日本独自の文化として注目すべきなのが漫才である。漫才とは、コンビである2人(稀に3人以上)がボケとツッコミに分かれ、おかしな掛け合いをするネタのことを指す。コンビの前にはスタンドマイクが置かれる。このマイク1本と自らのべしゃり(喋り)だけで勝負できるのが漫才の売りとされている。ボケがおかしなことを言いツッコミがそれを訂正するのが基本的な漫才の流れとなるが、世界ではどうやらツッコミという概念が理解されにくいようだ。そもそも世界ではコメディアンは1人でパフォーマンスをすることが多い。日本のようにボケとツッコミが息を合わせてネタを披露すること自体が珍しいのである。
なぜ日本ではこのような漫才の形態となっているのだろうか。人気お笑いコンビ、ウッチャンナンチャンの南原清隆氏は著書の中でその理由を、日本独自の「対の文化」の影響だと説明している14。南原氏によると、日本には昔から2つ揃わないと成り立たないものが多く存在する。例えば神社の狛犬や金剛力士像、また寿司屋で出される寿司も2個で1貫と数える。このようにペアで存在する概念が多い日本で生まれた漫才もまた、ボケとツッコミ2人が揃って初めて行える形となったのであろう。
漫才ほどはっきりとボケとツッコミが分かれていないこともあるが、コントも基本的には漫才と同様におかしな言動をするボケとそれを指摘するツッコミによって成り立っている。しかしコントはマイク1本の漫才とは対照的に、衣装、小道具、舞台セットなど細部までこだわって世界観を作り込むことができる。ネタの内容も、日常のワンシーンを切り取ったようなものから、ありえない設定のもとでツッコミが振り回される創作系のものまで様々である。芸人はここではコントの中の登場人物になりきらなければならないので、演技力が問われることも多い。
漫才、コントの他にも1人でネタを行うピン芸、集団で長尺のコントを行う新喜劇など、お笑いの形態は多岐にわたる。いずれにせよ日本独自の「ツッコミ」が世界からどう受け止められるか、これを考慮しなければ世界への一歩は踏み出せないのかもしれない。
世界のお笑い変遷
ここまで日本におけるお笑いの歴史や現状をみてきた。次は視点を世界に移す。世界におけるお笑いの潮流とはどのようなものなのだろうか。再び歴史と現状の観点から考察していく。
世界のお笑いの歴史
コメディーの先駆者として輝かしい功績を残したのがチャールズ・チャップリンである。喜劇王チャップリンは数々の傑作コメディー映画を作り、映画監督、俳優、脚本家としてマルチな才能を発揮した。その作品は無声映画でのパントマイムに始まり、トーキー(セリフが聞こえる映画)を作る技術が登場してからは、「独裁者」という社会風刺やメッセージ性の強い作品を打ち立てた。
「コメディー界におけるビートルズ」と評されたのがモンティ・パイソンである。1969年から始まったBBCテレビ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』で人気を博し、その後ライブ、映画、書籍、舞台劇などで幅広く活動を行った。オチを排除し全てのコントを繋げる構成と革新的なスタイルは、あらゆるジャンルのポップ・カルチャーに大きな影響を与えた。
その影響を受けた作品の一つが、「サタデー・ナイト・ライブ」である。アメリカNBCで毎週土曜日に生放送されているコメディー番組で、その人気ぶりはアメリカのコメディアンにとってスターへの登竜門的存在となっているほどだ。日本の伝説的バラエティ番組『オレたちひょうきん族』もこの番組をお手本として作られたと言われており、日本のバラエティ番組作りに大きな影響を与えている。1975年から現在まで放送され続けている超長寿番組でもあり、大物政治家や俳優、ミュージシャンが度々ゲスト出演している。
チャップリンから影響を受けて誕生したテレビシリーズが『Mr.ビーン』である。ローワンアトキンソンが脚本、主演を務めている。アトキンソンの表情や動作のみで笑いを誘う「ビジュアル・コメディー」のスタイルをとっているため、世界200近くの放送局で放送され世界中のあらゆる年齢層で圧倒的な知名度を誇っている。
このように世界的に有名なコメディーをみてみると、シリーズ物のコントが多いことがわかる。やはり漫才は世界では馴染みが薄いであろうことがうかがえる。
もう一つの特徴として、上記のコメディアンは総じて高学歴であることが挙げられる。モンティ・パイソンのメンバーのほとんどがケンブリッジ大学とオックスフォード大学という超名門校のコメディーサークル出身だ。ローワンアトキンソンも同じくオックスフォード大学卒である。とりわけイギリスにおいては、コメディアンは高学歴の人がなるハイステータスな職業なのかもしれない。これは「笑いの法則」内で述べた「推理の裏切り」に通じるものがある。やはり頭が良く博識でないと面白いネタは生み出せないということだろう。
世界のお笑いの現状
世界で今主流のコメディーといえば、やはりスタンダップコメディーであろう。1人でステージに立ち観客に向かってまくし立てるのが基本的なスタイルだ。舞台上に1人しかいないという点は、ボケとツッコミの掛け合いで笑いをとることが多い日本とは大きく異なる。
前述の「サタデー・ナイト・ライブ」にもスタンダップコメディアンが多く出演している。彼らは始めスタンダップコメディーの小さなステージで場数を踏み、腕を磨く。実力と人気を獲得したスタンダップコメディアンだけが、テレビ番組といった大きなステージで華々しく芸を披露することが許されるのだ。
彼らが話す内容は下ネタ、政治批判、人種差別ジョークなどと際どいものが多い。アメリカでは差別的なことを他人が言うことは許されないが、当事者が言うならいいという風潮がある。スタンダップコメディーでも黒人が肌の色をネタにしたりアジア人が容姿をネタにしたりする。いわばスタンダップコメディーとは、自らの不遇な境遇を、自虐という笑いに昇華させる表現方法なのである。
アメリカの名門コメディー劇団「セカンド・シティ」が行っている即興コントショーも世界中で人気がある。これは日本で「インプロ」と呼ばれる、台本なしでその場で創作することを目指した表現手法である。台本がないため、お客さんからその場でお題をもらい、場の流れや観客の雰囲気を読みながら劇を繰り広げていく。即興は観客と溶け込み笑いを増長する効果があるが、この技術を習得するためには長い修行と訓練が必要になる。
セカンド・シティには50年以上の歴史があり、アメリカのコメディー史をリードするコメディアンが次々に排出されている。メンバーは「サタデー・ナイト・ライブ」にも出演し大反響をよんだ。ドラマ「HEROES」でブレイクした日本人俳優マシ・オカさんもセカンド・シティ出身である。「HEROES」でコメディアン的役柄に徹していることについて、アジア系はステレオタイプの役がほとんどで、特にドラマはビジュアル的に共通点がないと視聴者は親近感を抱くことが出来ず共感しにくい。だが笑いは万国共通でコメディックディスタンスにより視聴者はキャラクターと自分に距離があることで笑えるという利点がある。この事を踏まえてビジネス的に考えてアジア系はコメディーの方がブレイクしやすいと考えたと語っている15。
スタンダップコメディーと即興コント、どちらも日本ではまだまだ馴染みが薄い。しかし日本のお笑いが世界に進出する際に、すでに世界で人気を博しているこれらのコメディースタイルから学べることは多いといえよう。
お笑いの海外進出における課題
日本のお笑いと世界のお笑いの違いがわかったところで、ここからいよいよ日本のお笑いの海外進出について考察していく。まずは海外に出ていくに当たり直面するであろう二つの大きな壁について、それをどのように乗り越えればいいかを検討する。
言葉の壁
日本のお笑いを世界に広める上で最も大きな壁となるのが、言葉の壁である。言葉の意味がお客さんに通じなければ、笑いを取ることは至極難しくなる。特に言葉遊び的なネタは直訳では全く意味をなさない。また言葉の微妙なニュアンスや言い回しが笑いにつながることも多いので、一つ一つのセリフの翻訳に細心の注意が必要となる。この言葉の壁を克服することは、果たして可能だろうか。
一つの手段として、言葉以外の表現方法を工夫するという手がある。実はコミュニケーションを取る上で言葉の果たす役割はそこまで大きくない。アメリカの心理学者アルバート・マレービアン博士の研究によると、人が他人から受け取る情報(感情や態度など)の中で言語情報が占める割合はわずか7%しかない。残りは表情が55%、声が38%を占めており、これらの非言語情報の方がはるかに重要だと言うことができる。
ならばネタを披露する際も、表情や仕草、声のトーンや間の取り方などを意識するだけで、格段と面白さを増すことができるのではないだろうか。また絵や小道具といった、言葉を介さない表現方法も存在する。日本語のネタをそのまま外国語に翻訳して伝えようとするから困難なのである。言葉以外のありとあらゆる表現方法を駆使し、言語で伝えきれない部分をカバーするといった努力が、お笑いが国境を越えるためには必要であろう。
渡辺直美は徹底的に言葉を排除したパフォーマンスで世界の人々を魅了した若手芸人である。彼女の持ち味は大きな体を激しく動かすダンスと精度の高いビヨンセモノマネだ。2016年に行われたワールドツアーでは、ニューヨーク、ロサンゼルス、そして台湾の観客を熱狂の渦に巻き込んだ16。
他にも、お笑いコンビビックスモールンが、アメリカのアポロシアターで開催されている「アマチュアナイト」というオーディションに合格している。過去にはマイケルジャクソンやスティーヴィーワンダーなど名だたるスーパースターが出演しており、この格式高いオーディションを彼らはボディーアートで突破した。このように言葉に頼らず非言語表現を極めることはとても重要だと言える。
言葉の壁を克服するために、字幕の工夫はとても効果的だ。最新の字幕システムを導入している劇場が渋谷にある。アニメ・コミック・ゲームを舞台化したもの、すなわち2.5次元ミュージカルの専用劇場である。このAiiA 2.5 Theater Tokyoではメガネ型の字幕装置を取り入れている。手元のコントローラーで文字の大きさが調節できる上、メガネの上からかけることも可能だ。4ヶ国語(英語・中国語・韓国語・フランス語)の中から好きな言語を選択できるようになっている17。
※2023年現在渋谷の劇場は閉館し、新たに神戸に劇場が立っている。
この字幕装置をお笑いの劇場でも取り入れることは可能なはずだ。字幕を必要とする人だけが、自分にあった言語で見ることができるので、これまでの字幕に比べて満足度が非常に高くなることが予想される。お笑いの劇場の中にはルミネtheよしもとや∞ホールのようにスクリーンが設置されている劇場が多いので、いきなり字幕装置を導入するのが難しい場合はこれらのスクリーンに字幕を投影するのが良いだろう。
陣内智則は韓国、ラスベガス、ロサンゼルスで単独ライブを成功させている。陣内のネタは映像にツッコむスタイルのものが多いので、映像中の字幕を活用することができたことが大きいだろう。当然ご本人もセリフをその国の言語でスラスラ喋れるようになるまでものすごく努力をされているが、字幕があることで伝わりやすさが格段に上がったと考えることができる。
翻訳技術の進歩も、言葉の壁克服に大きな力添えをしてくれそうだ。パナソニックが開発したペンダント型翻訳機は、話した言葉を自動で外国語に訳してくれる。クラウド上で自然言語処理と翻訳を行い、外国語(日本語・英語・中国語・韓国語)に訳した言葉を内蔵スピーカーから発声する仕組みだ。主な用途として訪日外国人向け観光案内などを想定しているそうだが、これをお笑いライブに応用することは十分可能である。
またより身近なGoogle翻訳の精度も飛躍的に向上してきている。ニュートラルネットワーク(脳神経系をモデルにした情報処理システム)が搭載されたことにより、既存のフレーズベースの機械翻訳技術(PBMT)と比較して、翻訳エラーが55~85%減少した18。このディープラーニングを用いた新たな翻訳システムにより、かつてなく自然で流暢な翻訳が可能となったのである。
先ほどの字幕もそうだが、芸人が慣れない外国語でネタをするよりも、こうした翻訳システムの力を借りた方がネタそのものに集中でき、お客さんをより笑わせることができると考えられる。これから先翻訳の精度はさらに高まってくることだろう。ネタ中の絶妙な表現も巧みに翻訳してくれる機器の登場も十分期待できる。このグローバル時代、言葉の壁を乗り越えることは案外簡単なのかもしれない。
文化の壁
次に立ちはだかる壁は、文化の壁である。文化が違うと笑いが起こりにくい。その理由は「笑いの法則」の中で紹介した「推理の裏切り」から説明することができる。人間は自分の推理が外れた時に笑う。この推理をするためには、ある程度の知識や教養、そして常識を知っている必要がある。国が違えば文化も異なり、常識を共有できないことが多い。常識を共有できなければこの後何が起こるかの予測をたてられず、結果として自分の思い込みが外れて笑うこともないというわけである。ではこの文化の壁はどのように克服すれば良いのだろうか。
まず考えられるのが、ネタのローカリゼーションという手段である。この場合のローカリゼーションとは、ネタを海外に広める際に言語の翻訳のみを行うのではなく、その国の文化に合うようにネタの内容にも変化を加えることを言う。例として2つほど芸人のネタを紹介する。
一つ目はCOWCOWのあたりまえ体操だ。2012年にブームとなったこのリズムネタは、日本のみならず世界中に配信され、大きな反響を呼んだ。このあたりまえ体操、オリジナルはCOWCOWの2人が体操服を着て踊っている19。しかし英語版の“No Surprise Exercise”を見てみると、服がカラフルなエアロビクスユニフォームに変わっている20。さらに曲もゆったりしたものから、エアロビ風の速いテンポにアレンジされている。西欧諸国では体操服やラジオ体操といったものとはなじみが薄いので、こうしたエアロビクス風バージョンに変更したのだと考えられる。
二つ目はとにかく明るい安村の全裸ポーズだ。全裸に見えるポーズをとっていくというネタなのでもともとわかりやすいが、英語版ではさらに伝わりやすいようにポーズの種類を変えている。公式動画内でとにかく明るい安村はアメリカンフットボール・西部劇のガンマン・スパイダーマンの3つのポーズを披露している21。これはアメリカ中の人が知っている馴染み深いポーズである。同様に韓国語版ではサムギョプサルを焼く時・マッコリを飲んだ時・テコンドーのポーズを披露している22。また『ブリテンズ・ゴット・タレント2023(英: Britain’s Got Talent、略称BGT)』では、サッカー・競馬・ジェームスボンド・スパイスガールズといったイギリス人に刺さるテーマ選びで会場に爆笑の渦を巻き起こした。このようにその国その国の文化風習に合わせた題材をネタに組み込むことが、お笑いを世界に広める上では重要だと言える。
次に有効な手段として、人類普遍の笑いのツボを押さえることが考えられる。文化や風習は国によって異なるかもしれないが、全世界で共通する笑いのツボは存在する。このことを落語研究家の宇井無愁は著書の中で「モリエールやシェークスピアやセルヴァンテスのような、丈夫で長もちする世界的な笑いが存在する。これらは時間空間をこえた普遍的な人間性の本質にふれた笑いであるために、耐久力をもってる。」23と説明している。
では具体的にはどのような題材が“普遍的な人間性の本質にふれた笑い”なのであろうか。社会言語学者の大島希巳江は著書の中で「ケチ噺はどの国の人も面白いと感じます。誰だって、基本的にはなるべくお金を出したくないと思っているわけですからね。また、間抜け話や知ったかぶり、男女関係などについてのジョークは、どの世界にも存在します。」24と例を挙げている。
アンジャッシュのすれ違いコントは、児嶋が知ったかぶりをすることでお互いの認識がどんどんずれていくというパターンが多い。アンジャッシュは自身のネタのパクリ疑惑が中国で浮上するほど世界でも人気があるコンビだ。彼らのように文化風習を超えて通じる面白み、ユーモアのセンスを磨くことで、世界中の人々の笑いのツボを押さえることができると言えよう。
異文化から来たことを逆手に取り日本人キャラを前面に押し出したネタをすることで、文化の壁を味方につけてしまうという発想もできる。日本人は日本国内では圧倒的マジョリティだが、ひとたび海外に飛び出せば圧倒的マイノリティである。他の芸人と差をつけ個性を出すうえで、日本人というキャラは世界というフィールドにおいてはうってつけであろう。
私は日本から来たお笑い芸人ですよとアピールするためには、まずは日本のことをよく知る必要がある。常識から逸脱するために常識を知っておく必要があるのと同じように、日本人キャラを押し出したネタをするうえでは日本、そして世界の常識を知ることが不可欠だ。そこで初めて日本と世界のギャップをネタに組み込むことができる。相手国の文化について勉強することに加え、自国の文化にも意識を向けることが重要になるといえよう。
アメリカ版のM-1グランプリである全米お笑いコンテスト、NBC『ラストコミックスタンディング』準決勝に進出した経歴を持つ日本人スタンダップコメディアンの小池良介さんは、「よく言葉の違い、アメリカ文化の知識不足などが理由でコメディーは困難とされているようですが、ダンス、音楽、芝居など、他のパフォーマンスよりむしろ日本人はコメディーに向いていると思っております。」25と語っている。言葉の壁も文化の壁も、実は世間で考えられているよりも取るに足らないものなのかもしれない。
お笑いのグローバル戦略
海外進出における課題の克服方法を考察できたので、次はいよいよ具体的なお笑いのグローバル戦略を考えていく。世界に日本のお笑いを浸透させるためには、どのようなことをすれば良いのだろうか。
世界との接点を増やす
日本のお笑いの世界進出のために、まずはしっかりとネタを海外の人に観てもらえる環境を作り上げなくてはいけない。ネタを届ける方法は幸いにしていくつもある。その中から海外の人に観てもらいやすい方法を考える。
一番有効な方法は、やはりYouTubeに動画をあげることだろう。現代においてYouTubeは強力なメディアである。世界最大の動画共有サービスであるとともに世界第2位の検索エンジンとも言われており、その情報拡散力は絶大だ。公式発表によると、YouTubeは全インターネット人口の約3分の1を占める 10億人以上のユーザーに利用されており、1日あたりの動画視聴時間は数億時間、視聴回数は数十億回にものぼる26。
さらにYouTubeはContent IDシステムを導入しており、自身での動画投稿はもちろん、著作権を持つコンテンツを含んでいれば他者の動画からも収益を得ることができる。世界中で大流行したPPAPを例にとると、多くの一般ユーザーがやってみた動画や曲をアレンジした動画をあげている。著作権所有者である古坂大魔王には自身があげた動画の他に、これらの動画からも収益が入るという仕組みだ。コンテンツの収益化を選択した著作権所有者にYouTubeが支払った金額は、2016年7月の時点で20億ドルに達している。
YouTube動画が多く再生されるようになれば、そこからの広告収入に加えContent IDの収益、さらに知名度も手に入れることができる。字幕をつけたり多言語で収録を行えば、世界中の人たちをターゲットにすることもできる。つまりは日本に拠点を置きながら世界で売れることを目指せるのだ。ライブをする機会が少ないのであれば、ここに多言語対応のネタ動画をあげ知名度と人気を獲得していくことが望ましいといえよう。
YouTube以外にも、NetflixやHulu、Amazonプライム・ビデオなど、動画配信サービスはたくさん存在している。例えばNetflixではスタンダップコメディアンのライブが配信されている。日本のお笑いライブの映像もこれらを通じて配信していくことが可能なはずだ。それぞれの強みを把握した上でサービスを使い分け、動画市場で人気を獲得していくことが大事だと考えられる。
次に重要なのが、実際に海外のコメディーの劇場に出演し、現地のお客さんにネタを観てもらうことである。やはり生のライブは動画等に比べ面白さが格段に違う。それは芸人とお客さんの距離が近いというのもあるし、また客同士の一体感も気分を高揚させるからだ。芸人が醸し出す雰囲気やキャラクターなどは、実際に目の前でネタを観てもらうことでより伝わりやすくなるのではないだろうか。
日本のあちらこちらにお笑いの劇場があるのと同じように、海外にも芸を披露することができるコメディー・クラブが点在している。中には世界各国のコメディアンが出演していたり、オーディション形式で勝ち上がっていくものもある。
ここで提案したいのが、「コメディー交換留学」だ。日本の劇場と海外のコメディー・クラブが提携劇場となり、2劇場間を双方の芸人が行ったり来たりする。ただ日本の芸人が海外に出向くだけではなく、海外のコメディアンにも日本に来て芸を披露してもらうことで、それぞれが刺激を受け芸の幅が広がる。また時には留学芸人同士でタッグを組みコラボレーションネタを披露するのも、新たな面白さの発見につながるだろう。
「世界のお笑いの現状」でも紹介したセカンド・シティと吉本興業が、これに近いことを行なっている。よしもと芸人がシカゴに出向きセカンド・シティのノウハウを学び、日本で「THE EMPTY STAGE」として上演された27。反響が大きく全国ツアーが行われるまでになったので、見事にアメリカのコメディー文化を日本に持ち込むことができたといえよう。
日本の交換留学芸人をライブで観た人が「あの芸人さんは普段は日本の劇場で活動しているのか」と気になれば、いつか日本を訪れた際にその劇場に立ち寄ってくれるかもしれない。もちろんその逆も然りである。こうしてお笑いを通して異文化交流が加速しグローバルネットワークが広がることは、政治・経済の面から見ても望ましいことだと言えるだろう。そして同時に、芸人は世界中で活躍するチャンスを得るのである。
ツッコミの様式を変える
お笑いにおけるツッコミは日本独自の文化だ。ツッコミはボケの言動を戒めるために、時に強く頭を叩いたり、どついたりすることがある。初めてツッコミを見た海外の人は、その激しさに面食らってしまう恐れがある。タイやマレーシアといった国々では、頭は神聖な場所とされている。こうした国の人々が日本のツッコミを見た時には、気分を害するどころの騒ぎではなくなる可能性も十分にあるといえよう。
また海外では個を尊重する考え方が強い。ツッコミがボケをあまりに強く叩くと、ボケの人格否定をしていると捉えられ非難の的となる恐れもある。ツッコミは本来お客さんと同じ目線に立ち、ボケのおかしさをわかりやすく伝える役割を担っている。そのツッコミからお客さんの心が離れてしまったら、ネタでウケることはまず不可能であろう。
こうした事態を防ぐためには、従来のツッコミのやり方を万国向けに改める必要がある。具体的にはどのように変えればいいだろうか。まず改めるべきなのは、ボケの身体に危害を加えることだ。痛そう、かわいそう、そこまでしなくても…とお客さんに思われてしまっては、彼らを笑わせることは不可能である。体を叩かなくても、ツッコミを機能させることは可能なはずだ。
では体を叩く代わりに、どのようなツッコミのやり方が考えられるだろうか。English Styleの記事によると、スタンダップコメディーは一人漫談なので、自分でボケて自分でツッコむ。その際のツッコミは、両手を胸元まであげて、手のひらを上に向けながら「なぜそうなるの?」「変な話だな」と言わんばかりの表情を作って表現する28。こうしたジェスチャーと表情を取り入れれば、ボケに身体的危害を加えることなくツッコミの役割を果たすことができると考えられる。さらに言葉でも“What?”や“It doesn’t make sense!”などと付け加えればより分かりやすさが増すことだろう。
またボケとツッコミがはっきりと分かれていることを示すために、服装に差をつけることを提案する。漫才などはコンビそろってスーツ姿のことが多いが、これだとパッと見でボケとツッコミを見分けることができない。ましてボケとツッコミに分かれて掛け合いをする文化がない海外では、この2人がこれからどのようなやりとりをするかを予測することはとても難しいだろう。はじめからスーツとオーバーオールのように差がついていれば、オーバーオールの人がおかしなことを言いスーツの人がそれを訂正するのかなと予測することができる。
具体例でいうと、オードリーは見事にパッと見でボケとツッコミの役割分担をお客さんに伝えることに成功している。ツッコミの若林がスーツでビシッと決めているのに対して、ボケの春日はピンクのベストに白パンツという身なりだ。スーツとピンクベストならピンクベストの方がおかしな言動をするということはどの国の人にも明白だろう。外見からわかりやすく伝えていく姿勢は、海外に出ていく上で重要なことだと言える。
アニメとのコラボレーション
日本のお笑いを世界に広めていく上で、アニメの力を借りるという戦略は非常に有効だと考えられる。日本のアニメの人気は凄まじい。東京オリンピックのPR動画にドラえもんやキャプテン翼が登場したように、アニメは日本を代表する文化かつ世界中で知名度が高いコンテンツである。DMMの亀山会長は記事の中で「日本で売るものはアニメしかないって話になっている」29とまで語っている。このアニメとお笑いを融合させることで、世界の人たちに日本のお笑いに興味を持ってもらうよう働きかけることができるはずだ。
具体的には、アニメのキャラクターが芸人のコントを演じている動画を制作し配信する。人気キャラクターが出ているとなれば、コントに興味がない人でも観てもらえる可能性が高い。動画の最後に元ネタを作った芸人の名前と顔写真を載せることで、日本にはこんな面白いコントを作る芸人がいるのかと注目されるきっかけとなる。
また生身の人間が演じてきたコントをアニメーションにすることで、表現の幅が格段に広がる。例えば服装や背景を瞬時に変えること、また表情を大げさに描くデフォルメ表現や比喩表現がアニメは得意だ。2015年2016年に社会現象を巻き起こすほどの人気を博した「おそ松さん」では、六男トド松の通常時の顔の原型をとどめていない通称「トッティ顔」が大きな話題を呼んだ。その反響の大きさは、LINEスタンプやフェイスパック、フィギュアなど多くのグッズに反映されている。
実際に行うのは難しいシチュエーションも、アニメなら簡単に表現することができる。また絵のタッチや音響、テンポの良さも自由に調整できるので、世界観を大胆かつわかりやすく描くことができる。芸人にも独特の世界観を持っているコンビが多いが、アニメーションにすることでよりその特徴がはっきり打ち出されることとなるだろう。
アニメはすでに従来のアニメ枠で放送されるものから飛び出し、企業とのコラボCMに使われている。同じくお笑いも、漫才やコントの中に商品を入れ込んだコラボCMが作られている。アニメとお笑いが繋がるのも時間の問題といえよう。アニメコントCMが主流となる日も近いのかもしれない。
気楽に多くの人に観てもらい、世界中に拡散されていけば、その脚本を書いた芸人への評価もどんどん高まっていくことになる。本家のコントを観たいという声も上がってくることだろう。このお笑いとアニメのコラボレーションはお笑い界とアニメ界双方に利益をもたらし、同時に世界に誇るべき日本文化をまた一つ花開かせることにつながるであろう。
終章
この論文では、日本のお笑いの海外進出の必要性、可能性、そして具体的なグローバル戦略について考察した。日本のお笑いは多様である。日本に留まらず、世界に出た方が日の目を浴びやすいお笑い、芸人がどこかにいる。彼らが自らのネタ作りのみに集中し、のびのびと海外で活躍できるフィールドやコンディションを、周りのスタッフは作っていかなければならない。
お笑いの海外進出には課題も複数存在する。しかし一つ一つを挙げて検討してみると、どれも致命傷となる程大きな問題ではないことがわかった。正しい海外の知識を持ち工夫を凝らせば、これらの課題はクリアすることができる。技術が発展し世界が以前より格段に身近に感じられるようになった今、むしろ日本国内のみを見据えてお笑いをすることの方が非効率になりうるのではないだろうか。
日本のお笑いが世界で花開くのは、国を挙げて喜ぶべき事柄と言える。政府はクールジャパンと称して日本文化の輸出に力を入れている。歴史ある日本のお笑いが世界中の注目を集める存在になれば、一気に日本ブランドが高まることに繋がる。さらに日本のお笑いの劇場が新たな観光スポットとなれば、訪日外国人旅行者数の増加に大きく貢献することができるだろう。
笑いの必要性・効果、日本のお笑い、世界のお笑い、海外進出における課題、グローバル戦略と様々な角度から日本のお笑いの海外進出について考察してきた。ここで今、お笑いを世界に広めることは可能であると結論づける。「お笑いの海外進出における課題」と「お笑いのグローバル戦略」で提案した施策を重点的に実行していくことで、日本のお笑いが海外で認知され人気を獲得することを現実のものとすることが可能となるはずだ。
けれども今回の考察は十分なものではない。実際に海外に出るとなると費用が莫大にかかる。そこの収支はどうなるのか、果たしてお笑いの海外進出がビジネス的には成り立つのかを、次に考察する機会があれば検討してみたい。その際はお笑いの最大手、吉本興業所属の芸人が数多く海外でライブを成功させているので、彼らの事例をもとに再検討を行うのが妥当だと考えている。黒字化し芸人に収入をもたらすことは、彼らがお笑いの芸磨きに集中する上で不可欠なのだ。
日本のお笑いが世界に広まることによって、より多くの芸人に仕事の機会がもたらされるようになれば、それはこの上ない喜びである。お笑いという日本文化の発信ももちろん重要だが、つまるところそここそがこの論文の一番の目的なのだから。
註
¹2013年7月16日放送の「芸人報道」を参考にした。
²志水ほか 1994、14頁
³鶴野 2013、22頁
⁴山本 2015、http://www.advertimes.com/20150427/article190440/(2016年9月7日アクセス)
⁵「“笑い”がもたらす健康効果」2009、http://www.sawai.co.jp/kenko-suishinka/illness/200908.html(2016年9月7日アクセス)
⁶昇 2006、12頁
⁷2014年3月1日放送の「にけつッ!!」から抜粋。
⁸志水ほか 1994、39頁
⁹志水ほか 1994、44頁
10マグロウほか 2015、25頁
11「お笑いを科学する『人はなぜ笑うのか』──澤口俊之(人間性脳科学研究所 所長 武蔵野学院大学教授)」https://www.gqjapan.jp/life/business/20120514/i-laugh-therefore-i-am
(2016年9月7日アクセス)
12本田 2014、20頁
13志村けんオフィシャルブログ「Kens BLOG」(2017年1月22日アクセス)
14南原 2010、85頁
15「インタビュー:マシ・オカ 全米で最も有名な日本人俳優」,『日経エンタテインメント!』2007年11号、17頁
16「渡辺直美、迫力ボディ&圧巻パフォーマンスにニューヨーカーも熱狂 初のワールドツアー開始」https://mdpr.jp/news/detail/1620457(2017年1月20日アクセス)
17高「2.5次元ミュージカル専用劇場いよいよオープン、まずは『NARUTO-ナルト-』から」http://animeanime.jp/article/2015/03/20/22425.html(2016年10月9日アクセス)
18Quoc V. Le & Mike Schuster “A Neural Network for Machine Translation, at Production Scale” https://research.googleblog.com/2016/09/a-neural-network-for-machine.html(2016年11月13日アクセス)
19COWCOW「あたりまえ体操#1」https://www.youtube.com/watch?v=G0zRBRUQils(2016年10月15日アクセス)
20No Surprise Exercise short promotion COWCOW “atarimae taisou”
https://www.youtube.com/watch?v=faC1zwPsaf4(2016年10月15日アクセス)
21Don’t worry, I’m wearing. By TONIKAKU AKARUI YASUMURA(とにかく明るい安村・英語バージョン)https://www.youtube.com/watch?v=tjvq3AONXmE (2016年10月17日アクセス)
22안심하십시요, 착용하고 있습니다. by TONIKAKU AKARUI YASUMURA(とにかく明るい安村・韓国語バージョン)https://www.youtube.com/watch?v=D25X_RYRXps(2016年10月17日アクセス)
23宇井 1969、14−15頁
24大島 2001、21頁
25NEW YORK愛知県人会オフィシャルウェブサイト「第1回 小池良介さん」http://nyaichikenjinkai.com/essay/321/.html(2017年1月20日アクセス)※現在はリンク先閲覧不可
26YouTube「統計情報」https://www.youtube.com/yt/press/ja/statistics.html(2016年11月22日アクセス)※現在はリンク先閲覧不可
27Jones, C., 2012. Next stop, Japan … Second City extends its reach to second continent. Chicago Tribune, 15 Feb. http://www.chicagotribune.com/ct-ent-0216-second-city-japan-20120215-column.html
(2017年1月20日アクセス)
28「『ツッコミ』『スベる』は英語にない!? 日本と米国の“お笑い概念”」http://juken.oricon.co.jp/rank_english/news/2069284/(2016年12月21日アクセス)
29「『俺と一緒に世界を獲るか (笑)』DMM亀山会長×キンコン西野の未来予想図」http://logmi.jp/181227(2017年1月20日アクセス)
参考文献
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鶴野充茂『ビジネスマンの外見力とコミュニケーション力』西東社、2013
南原清隆『僕の「日本人の笑い」再発見 狂言でござる ボケとツッコミには600年の歴史があった』祥伝社、2010
昇幹夫『笑って長生き 笑いと長寿の健康科学』大月書店、2006
マグロウ,ピーター・ワーナー,ジョエル『世界“笑いのツボ”探し』(柴田さとみ訳)cccメディアハウス、2015
広川峯啓『今さら訊けないお笑い専門用語解説』株式会社オールアバウト、2013
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YouTube「統計情報」https://www.youtube.com/yt/press/ja/statistics.html
(2016年11月22日アクセス)
English Abstract
This paper aims to explore the feasibility and necessity of globalizing Japanese comedy. In Japan, there are many comedians, but they often don’t have a lot of opportunities to perform in front of an audience. In our globalized world, many aspects of Japanese culture are being exported, and Japanese comedy has the potential to do the same. The paper discusses the identity of Japanese comedy and proposes a strategy for its globalization.
Laughter can be divided into two types: as a form of communication and as a source of pleasure. Laughing with others is a natural instinct and has numerous health benefits, as well as increasing brain activity. Laughter is a crucial part of human life.
There are two laws of laughter: the law of tension and relaxation, and the law of betraying inference. Comedians are aware of these laws when performing their acts.
Japanese comedy has a rich history spanning over 100 years, with various styles, including “manzai,” in which two comedians share the roles of “boke” and “tsukkomi” with just a microphone, no props.
Internationally, there are many successful comedy skits, such as those created by Chaplin and Monty Python. Stand-up comedy is globally recognized. The renowned American comedy theater company, “the Second City,” performs improvisational shows that are famous worldwide.
For Japanese comedy to enter the global market, it must overcome two obstacles: language and cultural differences. The language barrier can be overcome with the use of subtitle devices, while localizing comedy performances or finding universal points of humor can break down cultural barriers.
I propose three strategies for globalizing Japanese comedy: 1) increasing global exposure through YouTube and comedy exchange programs, 2) changing the style of “tsukkomi” to mimic standard comedy gestures, and 3) collaborating with anime to promote comedy acts featuring animated characters, which would attract a global audience.