皆さんは「場面緘黙症」というものをご存知でしょうか。調べると情緒障害の1つと書かれていたり、はたまた他のサイトでは不安症状の1つだと書かれていたりで、まだまだ解明されていないことが多そうです。世間での知名度もそんなに高くなさそうですよね。
何を隠そう当事者である私自身も、自身の症状が場面緘黙症であったことを大学生になってから知りました。
今回は今まさに場面緘黙症に苦しむ方やその保護者の方の参考に少しでもなればと思い、体験談を書かせていただきます。
場面緘黙症とは
場面緘黙症とは、家などでは普通に話せるのに、特定の場所で1か月以上話せなくなる疾患のことを言います。
ハートライン沖縄クリニックの記事によると、全緘黙(あらゆる場面で話せなくなる状態)と区別するために、最新の診断基準では「選択性緘黙」という名称が使われているそうです。
500人に1人の割合で発症するとのことなので、身の回りに同じ症状の人がいなかったのも納得です。
5歳未満の幼児期に症状が見られることが多いので、親御さんが心配してこのような記事を検索をされていることが多いようです。
私が場面緘黙症になった理由
私自身の体験談をお話しすると、元々は明るい子どもだったそうです。他の子どもとなんら変わったところはなく、普通に保育園に通っていました。
4歳頃でしょうか。ある日突然保育園でお喋りができなくなったそうです。
自分のことなのに伝聞表現をしているのは、何を隠そう子ども時代の記憶がほぼないからです。人間には自己防衛手段としてつらい記憶をなくす傾向があるようですが、まさに私は幼少期の記憶がすっかり抜け落ちてしまっています(基本昨日以前の記憶がないので別の原因かもしれませんが…)。
とはいえ頑張って話せなくなった日のことを思い出そうとしてみると、地面にいる私に向かって滑り台の上から何かを言ってくる男の子の姿がぼんやり浮かんできました。もしかすると当時の私にとってものすごく傷つく何かを言われてショック状態に陥ったのかもしれません。
今となっては神のみぞ知るというやつですね。
場面緘黙症が続いた期間
場面緘黙症を発症してから私は保育園で話すことができなくなりました。選択性緘黙なので、家の中では普通にお喋りができます。親はもちろん心配します。
5歳頃引越しをし、今度は幼稚園に通うことになりました。母親からは「環境が変わって新しいお友達になるから、今が話すチャンスだよ。」と言われました。
幼稚園に着きはじめましての場面で、やはり私は話すことができませんでした。すぐにまた私は「喋れないとーるきんちゃん」になりました。そんな中でもドイツ人の女の子とは仲良くなって、一緒にかくれんぼをしていたのを覚えています。
小学校に上がる頃、また母親に言われました。「何人かは同じ幼稚園からのお友達がいるけど、はじめましての人が増えるから今度こそチャンスだよ。」小学校に入り、案の定私は喋れず、「喋れないとーるきんちゃん」を確固たるものにしました。
親はもちろんとても心配し、何度も児童相談所に連れていかれました。けれども誰も私を場面緘黙症とは診断してくれませんでした。
当時は今よりネットが発達しておらず、もしかすると場面緘黙症の研究自体も発展途上だったのかもしれません。私は人前で喋れない変わった子どもとして生きていくことを強いられました。
もしこの時点で場面緘黙症の診断を受けられていたら、どれだけ心が楽になったことでしょう。それは親も同じだったと思います。
学校の先生にも「次の授業でお話ししようね、先生との約束だよ」のようなことを言われた記憶がありますが、もちろんその約束を果たすことはできませんでした。
ただ面倒見のいい同級生が率先して「通訳」の役割を担ってくれたので、今思い返すととてもありがたかったなぁと思います。
場面緘黙症を克服したきっかけ
場面緘黙症を克服した日のことは覚えています。
ずっと人前で話せないまま小学4年生になってしまった私はとても焦っていました。学年が上がるにつれ授業で発表を行わなければいけない場面が増えてきていました。
このままではいられない。どうすればいいんだろう。もちろん人前で話さなければいけません。それは誰に助けてもらうこともできない、自分にしか成し得ないことです。
ちょうどその日は社会か何かの授業で、私は1人で発表をしなければいけませんでした。
これまでの私ならおそらく黙りこくって地獄のような時間が流れていたのでしょうが(地獄すぎたのか、こういう場面の記憶は本当に残っていない…)、この時の私はまるで崖の端に立たされたような気持ちで、全ての勇気とエネルギーを振り絞って声を発しました。
その時の周りの驚いた顔と、最前列に座っていた女の子の面白いものを見ているようなニヤニヤ顔を忘れることができません。
このように私は明確なきっかけがあり症状を克服しましたが、その克服方法は人によって様々なんだろうと思います。
調べると克服しないまま大人になる人もいるようで、その気持ちは本当によくわかります。
社会の都合で場面緘黙は克服しなければいけないことみたいになってますが、よく考えると別に喋れないまま生きていても何も問題ないですよね。
場面緘黙症を克服したその後
場面緘黙症を克服したはいいものの、人とまともにコミュニケーションをとってこなかったからか、はたまた自分がどこまでも変なやつだったからか、学校に馴染めず辛い子ども時代を過ごしました。自殺する勇気がなかったことだけが唯一の救いだったと思います。
なのでこの記事をご覧になっている当事者の方は無理せず行きたくなかったら学校に行かなくていいし、保護者の方は「学校休んでもいいんだよ」と率先して声をかけてあげてほしいです。生きてさえいればなんとでもなるので。
そしてご安心ください。その後は高校を首席で卒業し、今は大手企業で働いています。
あれだけ社会不適合者だと思っていた自分でも、問題なく社会で生きているばかりか、そこらの人よりよっぽど幸せに生きているという自負もあります(幸せは比べるものではないということは承知の上であえて反骨的に書かせていただきました)。
人生はいくらでも逆転できるので、今この症状に苦しんでいる方も希望を持って生きてほしいと心から願っています。そして最終的には場面緘黙に限らず、どんな症状や個性を持っている人でも生きやすい世界を目指していきたいです。
↓調べていたら民間の支援団体があったのでご紹介させていただきます
↓そのかんもくネットさんで本も出しているみたいです
【追伸】場面緘黙当事者に聞いてみたいことってあったりしますか?もし需要が多そうであれば別で記事にしようと思います。